「思考は現実化する」の意味を履き違えてる人は多いと思う
成功哲学には、「思考は現実化する」という有名な格言があります。「引き寄せの法則」も同じ。理論自体は正しいですが、大抵の人はそのプロセスが間違っていて、鵜呑みにした人は地獄を見ることになります。
ここでは何も分からないまま「思考は現実化する」という言葉を鵜呑みにすると危険だよ、という話と「幸福論」について話します。本を解説するものではありませんよ。
こんな権威性のない弱小ブログをイチゲンさんが読んで「なるほど!」と一発で納得してもらえるとは思っていないし、むしろ自己啓発系を熱く語っても「ヤバイ」と思われるだけだと思っているので本当はあんまりゴチャゴチャ語りたくないんですけど、あくまで私の主観というか、幸福論だと思って読んでいただければと思います。
もくじ
「思考は現実化する」の意味
- ナポレオン・ヒル
Think and Grow Rich(頭を使って豊かになれ, 邦訳:思考は現実化する)の著者。
- 思考は現実化する
Think and Grow Rich(頭を使って豊かになれ, 邦訳:思考は現実化する)の邦訳タイトル。
ナポレオン・ヒルが20年間無償で500名以上の成功者の研究・成功哲学を体系化し、完成させた著書。現在でも自己啓発本の原点のひとつとして人気が高い。
めっちゃざっくり言うと「あなたが出来ると思ったらできるし、出来ないと思ったらできない。結果はあなたの意志で決まる。」みたいな内容です。
たぶん多くの人がこれだけを聞くと「んなワケ無い。そんなに簡単なら誰も苦労しないでしょ。」と思います。
私も最初そうでした。私は前にいた会社でこれをイヤというほど聞かされたんですけど、聞き流していました。そこは会社ぐるみでそういうことを言ってたんですけど、今思い返してみるとたぶん言ってた人もちゃんと理解できていなかったんじゃないかなと思います。(一部上場企業ですよ。)
でもこの言葉を聞いて数年経ってからようやく意味が分かったんです。
分かったと言っても、「このナポレオン・ヒルの本を熟読したから理解できた」という話ではありません。そもそも私はこの本を一度も読んだことがありませんからね。
でもこれには落とし穴があります。っていうとちょっと語弊があるかもしれませんが、信じるにしてもいくつか気をつけなければならないことがあります。
間違い1: その「思考」は本当に心の底から望んだものか?
「思考は現実化する」という格言はガチ系の営業マンなどがよく使う言葉です。会社の実態をよく知らないまま入社したところガチガチの営業マン・営業部隊だったりしてこの考え方を強要・強制されることがあります。
企業が採用している自己啓発プログラムによっては叩き込まれるというか洗脳されるというか。
なので、冷笑系の人が「ヤバイ会社」として小馬鹿にするネタの1つでもあります。でもこれは決して「自己啓発プログラム=全部ヤバイ」という話ではありません。
まともなのもあるでしょう。ただ、プログラムを受けたい人・受けさせられる人にはその良し悪しが判別できないのです。判別できるだけの知識があるならそもそもプログラムを受ける必要はありませんからね。
とにかく成果が出せると自分で思い込め!
自信を持って努力すれば結果が出せる!
結果を出せれば幸せになれる!
だから頑張って自分は出来ると思い込め!
これではダメなんですよ。付け焼き刃にもほどがあります。
で、そうやって強要されて無理やり叩き込まれた場合、絶対に成功しません。なぜなら、その思考はあなたが本当に望んでいることではないからです。
「嫌なことを嫌々やって成功するわけがない」こんなの誰でも分かることなんですけど、ダメな啓発プログラムだとこれを精神論で押し通そうとします。
で、無理やりやって精神がおかしくなって、身体を壊して会社・社会からリタイアする人だっているんです。私は何人も見て来ました。本当に酷い話です。
そもそもあなたが入ったその会社、本当にあなたが居たいと思って居る会社ですか?稼がないといけないからとりあえず入った会社ではありませんか?
「本当に居たいところで、本当にやりたいことする」。そうじゃないと人は全力では働かず、クリエイティブになれません。本領が発揮できない、しかもやりたくないことをやる。こんなの苦痛ではありませんか?
間違い2: 目的(ゴール)と手段が逆になっていないか?
上で説明したような精神論的な無理な頑張り方は「今イヤなことを我慢してでも続ければ、将来幸せになれる、だから今我慢してでもやる」という方法です。これは間違った仏教思想としての「我慢して頑張る=美徳。徳を積めば来世で幸せになれる」という輪廻思想と似ています。
「今はどこを向いているか分からないし、茨の道だけど、足元を見て歯を食いしばって歩き続ければいつか豊かな土地に出られる」って考え方、はっきり言ってそんな人生地獄ですよ。だってイヤな思いをしたからといって、その見返りが必ず来る保証なんてどこにも無いじゃないですか。
ちょっと話が逸れるように聞こえるかもしれませんが、多くの人は、目の前にいくつかの手段があってそれらを選んだり駆使して辿り着けるゴールを見出そうとします。でもこれは間違いです。
完全に逆なんです。ゴールを設定すれば、手段が自然と見えてくるんです。これがすごく肝心です。
よくあるような自己啓発プログラムではここを教えてくれません。で「とにかく頑張れ」と言われる。
「目的と手段の関係」の話は別に自己啓発を意識していない人にも当てはまりますよ。
例えばこういう例です。
- (あなたが男性で、)妻が妊娠したら街なかにはベビーカーが沢山いることに気づく
実際のベビーカーの数は普段と変わらないのに、自分に子育ての必要を感じた途端、子育てをするというゴールが生まれて、子育てに関する事柄が周りに沢山あることに初めて気づくという喩えです。
間違い3: 目的(ゴール)と手段が同じ形をしているか?
例えば「お金が稼げればどんなことをしてもいい」という考えは間違いです。それを許してしまったら社会は成り立ちません。
上でも言いましたが「嫌なことを我慢して頑張れば将来ご褒美がある」。これも間違いです。いや、それでも良いというなら止めはしませんけどね。
理想は「ゴールと手段が同じ形をしている」ということです。入れ子構造で、フラクタル構造で、曼荼羅の世界のようで、マトリョーシカ人形のようであるべきです。
- ゴール
上位の階層・マクロの出来事(将来に願っている姿・形)。
- 手段
下位の階層・ミクロの出来事(今やっている身近なこと)。
普遍的な大きい例えで言えば「世界を平和にしたいなら、その手段も平和的でなければいけない、あなたの普段のおこないも平和的でなければいけない」という話です。
「気に入らない奴を武器で制圧すれば平和がくる」、そういうことをすると禍根が残って結局あとで揉めるんです。今の世界を見れば分かるでしょう。
(世界平和を願っていると言いながら、片一方では身近な人に暴力や暴言を放っていませんか?)
人生も同じです。「嫌なことを我慢して頑張れば将来ご褒美がある」、それほんまか?
本当にそのご褒美がある保証はありますか?もし無かったとしてもあなたは幸せな人生だったと言えますか?
10年後、30年後、50年後、あなたがどんな姿で何をしているのか、理想の状況をイメージしてください。その年齢になって、過去(今この瞬間)を振り返った時に「今やっていることが本当に必要なことなのか」を自分に問うてみてください。
自分に自信を持っているか?
「無根拠に自信を持て!」という教えは誤った自己啓発プログラムでも唯一正しい点だと言えます。
多くの人は「実力があるからそれに見合った自信を持つ」もので、実力以上の自信を持つと「ただのうぬぼれ屋、自信家」だと揶揄される、と思っています。
でもそれでは成長できません。「上を目指す側」か「下から揶揄する側」、あなたはどっちになりたいですか?
無根拠に自信を持ってください。まるでもう実力があるかの如く。そうすれば実力は後から付いてきます。
自分のことを良く言うのは恥ずかしいかもしれない。謙虚さも大事。でも、世の中に革命を起こせるのは「自分にはできる」って信じた人だけ。無根拠だっていいから、自信過剰な方がいいと思います。
例えばこういう逸話があります。
ある肥満の女性が、ダイエットするために「勝手に人気モデルに成りきる」ことにしたんです。そしたら、間食したくなった時に「モデルならこのタイミングで間食しないはず」と感じて、間食を控えるようになった。「そう、私は人気モデル。だったらこんなに部屋は汚くないはず」と部屋までピカピカになったそう。
一方で、「私はもう痩せている」とだけ思い込むのは間違った考えです。(ゴール=痩せる)
「もう痩せている」→「だからちょっとくらい食べてもセーフ」。でもこれだと逆に太っちゃう。痩せていること自体がゴールになっていてはダメなんです。ゴールはもっと先に設定しないといけません。美しい体型を維持することは、人気モデルであることの前提条件や通過点に過ぎないのと同じ。
自己洗脳(無根拠な自信)によって「現状の自分」を「理想の自分」側へ引っ張り上げて乖離を埋めようとした結果です。私が思うに、これが本当の意味での「思考は現実化する」です。
ここまで理想の自分の臨場感を高めることができる人ってなかなかいないと思うんですけど、出来たらちゃんと結果が出てくると思うんです。
それで、この手の話をネットで調べてみると、この理論に否定的な大抵の人は「お金持ちになりたいと願ってメモ帳にも書いたりしたけど、達成できなかった、今思えばあの考え方はやばい宗教」と言うのがよくあるパターン。でもそういう人って本当に願っていることをゴールに設定していなかったり、設定は正しいけど本気度が全然なかったり、実際にそのために何か行動をしているわけでもなく、何もかも間違えてるんですよね。
人生訓に近い話
じゃあ上で言ったようなことを真正直に受け入れて実行したら絶対にそれが実現できるかというと、「それもまた違う」。特にゴールが大会社の社長になることとか、総理大臣みたいに椅子を奪い合うような世界ではね。
そう言うと「そんなの逃げ口上だ」と思うでしょう。だって、達成出来なかったら「あなたの本気度が足りなかっただけ」とでも言えば言い逃れが出来てしまうわけですから。でも本質はそこじゃない。
この手のコーチングの理論の本質は「成功論」ではなく「幸福論」なんです。少なくとも私はそう思っています。
もしもこの論理で日々を生活をすれば、その人は基本的には自分の好きなことに満たされて生きていくことになります。そうすれば、たとえゴールには到達できなかったとしても、その道筋には満足できるはずです。だって正しいゴール設定が出来ていれば、その手段には目的が内包されているはずですから。その人生はゴールが散りばめられた日々を送っていたはず。既にゴールしていたと言ってもいい。
だからこの理論には2つの意味が込められています。むしろ2番目こそが真髄なのでは、とも。
本当に成功するための方法論
ゴールを達成できなかった場合でも不幸を感じない幸福論
でもコーチが最初からそこまで全部言ってしまうと、ガチで成功したいと思ってる生徒は「じゃあこの理論アカンやん」となってしまうので言えないという部分もあると思うんです。ネタバレっていうかね。
この背景としては、こういった成功論を求める人の多くが「成功=幸福」で「失敗=不幸」だと捉えているからだと思うんです。
だって「コーチ!成功する方法教えてください!」って言ってるのにコーチが「失敗しても苦しまない方法教えるよー」って言い出したらちょっと拍子抜けしちゃうじゃないですか?それで生徒が散ってしまっては困るんです。だってその手のコーチが幸せにしたい人は正にそういう人たちだからです。
コーチはコーチで、敢えて言っていない部分があると思うんです。コーチの目標は「一握りの誰かを大成功させること」とは別に「皆を幸せにすること」もあるはずです。私がコーチならそういうゴール設定をします。
そういう意味で、最初からコーチと生徒の間には乖離があって、そのギャップを埋められない生徒、気づきを得られない生徒が「アレは宗教」と突き放すのではないかと感じます。
大乗仏教と上座部仏教の両方に近い気がする
- 大乗仏教
念仏を唱えるだけで極楽に行けると主張するタイプ。
- 上座部仏教
過酷な修行してこそ極楽に行けると主張するタイプ。
こういう認識なんですけど、仏教には詳しくないので違ったらすみません。
大乗仏教としては、とりあえず信徒を増やすには「念仏を唱えれば良い」と言う。手軽ですからね。そしてその地域の僧侶が仲良くなった地域住民と日々触れ合う中で伝える言葉や説法にこそ正しい生き方や幸せのレシピが入っていると思うんです。
それを抜きにして本当に言葉の通り「念仏を唱えるだけで幸せになれる」と思っているようでは困るよ、という話です。「念仏唱えたのに幸せになれへんやん!」と逆ギレするのは以ての外です。
中学校や高校で習った時は、「上座部が正しいかはさておき、大乗仏教は絶対に間違ってるやろ(笑)」くらいの認識しかなかったのですが、上で言ったような思惑とか効用があるのだとしたら、「それはそれで正しい部分もあるな」と感じるようになりました。ただ日本では「現世で頑張らなくても念仏を唱えれば極楽へいける、来世で良い思いができる」という思想が少なからずある気がしていて、そこは確実に間違ってると思ってるんですよね。
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